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DATUMS 1999.10
「多文化共生」社会の到来

田村 太郎  多文化共生センター

■たむら たろう
 兵庫県伊丹市生まれ。県立伊丹高校を卒業後、アジア・ヨーロッパ・アフリカ・南米などを旅行。在日フィリピン人向けレンタルビデオ店などでの勤務を経て1995年、阪神大震災直後に「外国人地震情報センター」の設立に奔走。同センターの「多文化共生センター」への発展改称とともに事務局長、97年4月より代表。自治体や国際交流協会の委員としても外国人住民施策やボランティア・NPO、復興まちづくりなどで提言を行う。多文化共生センターは、国際交流基金地域交流振興賞理事長特別表彰(1996年)、第10回毎日国際交流賞(1998年)などを受賞。著書・論文に「阪神大震災と外国人」(外国人地震情報センター編/明石書店)「外国人と都市問題」(市政研究96秋号)「在日外国人の母子保健調査・研究」(とよなか国際交流協会)「災害復興期におけるNPOの役割」(神戸復興塾)など。


  1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、被災地に暮らしていた約8万人の外国人もまた大きな被害を受けました。言葉や習慣、制度のちがいなどから、日本人とはまたことなる困難に直面した外国人被災者が数多く存在しました。こうした外国人被災者への支援活動を通じて「多様でない社会」の危うさを感じたボランティアの手により、多文化共生センターは95年10月、国籍や言葉、文化、習慣などの違いを認めあい、互いに尊重しあう「多文化共生社会」の実現をめざして発足したボランティア団体です。
  21世紀の早い段階で地球上の人口の半数以上が都市に集中するといわれています。急速な森林の農地化や自然災害による環境破壊、戦争や貧困などの理由から、「よりよい生活を求めて」人は移動します。誰も人の移動を制限することはできません。日本にもこの10年あまりのあいだに、世界各地からやってきて生活を始める人々が急速に増えていますが、日本だけでなく世界中の都市が同じ課題に直面しています。異なる文化をもつ人との「共生」は、世界中の誰もが考えなければならない新しい課題といえます。
  これまで外国人の存在は社会的コストがかかるというネガティブな面からしか捕えられてきませんでしたが、これからは多様な文化が存在することで地域が豊かになる、というポジティブな側面を見つめ直し、異なる個と個の「協働」の視点から、多文化共生社会の実現をめざしていくことが大切です。
  多文化共生センターでは、震災での経験をもとに、
 1.国籍による差別のない基本的人権の実現
 2.民族的・文化的少数者への力づけ
 3.協働のできる土壌づくり
 の三つの理念に沿って、多言語での生活相談や健康診断、パソコンセミナー、学校などへの通訳派遣といった在日外国人を対象としたさまざまな事業と、教材開発、多文化共生への参加と関心をもってもらうためのイベントやセミナーなど、日本人を対象とした事業を行なっています。
  多文化共生センターはその活動内容とともに、ボランティア参加型の事業を展開することで、多文化共生社会の実現を目指しています。ニーズに気付いたボランティアが次々と新しい事業を産みだしていく。この繰り返しで現在は2000名を超える登録ボランティアが全国で活動する組織となりました。これは日本人と外国人との協働によって多文化共生社会をもたらすことこそ意味があるとの考えに基づくものです。
  いま世界で、活気にあふれている街はどこもさまざまな地域から多様な住民を迎えて活力の源としています。例えば、サンフランシスコ市には、少なくても60以上の言語を話す住民が暮らしているといわれています。こうした人々へのサービスは、企業や行政と協力しながら、経験豊かでしなやかなNPOが担っています。「移民国家であるアメリカとは違う」という発想は昔の話。いま、日本で暮らす外国人 は170万人を超えています。世界中で多文化共生社会が到来するなか、私たちは異なる文化との協働ができるのか。多文化共生センターはその試金石として、全国へ活動の和を広げていきたいと思っています。

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