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DATUMS 1999.12
「仕事は何ですか?」を超えて

斉藤 明子  コミュニティサポート研究所代表

■さいとう あきこ
 普通のOLを経て広告制作会社に勤務。その後フリーのコピーライターをしながら障害者の自立生活運動を支援。その後NPOの専従職員を経て現職に。


  TVの英会話番組を見ていたら、日本人が初対面の人によくする質問で外国の人が失礼だと思うものとして「結婚していますか」と「仕事は何ですか」をあげていた。私自身は何回も仕事を変えているので無業の期間がしばしばあったし、相手がどんな人かを知る手掛かりとして職業を参考にすることはあまりないが、日本人にとって「仕事」とは結婚同様、本人のクレディビリティを表す指標であるらしい。「仕事」がないことが人間として信用されないことや、帰属すべきところがなく孤立を意味するようになると、いわゆる「職業」についていない人に対する差別や偏見が生まれる。定年退職者が身の置き所がないようになり落ち込むのは、それまでの上記のような価値観にどっぷり浸かって疑問にも思わず生きてきたからだろう。
  仕事」や「職業」と「働くこと」とはイコールではない。「仕事」や「職業」は社会的に通用する組織に帰属すること或いは一定の職業的身分を持つことを意味しているが、「働くこと」は自己満足を超えて何らかの社会貢献になっていればいい。例えば障害者は実に一生懸命生きている。自分のためばかりでなく仲間どうし助け合ったり、情報を提供しあったり、励ましあったり、社会を変えようとしている。NPOのメンバーやボランティアも実によく働いているが、有償の専従職員を除き「お仕事は?」と聞かれてそのような活動をあげるのはちゅうちょせざるを得ない。不況の時代には「仕事」や「職業」は減るが、やらなければならない『社会的ニーズ』は増える。21世紀の課題はこの「仕事」や「職業」と「働くこと」とのギャップを埋めることではないだろうか。
  サンフランシスコ郊外のサンラファエルで最重度の知的障害者に“しごと”を作っている人がいる。リサはレストランや本屋やスーパーにでかけて、紙ナフキンでナイフとフォークを包んだり、ジャガイモの皮をむいたり、売れ残りの雑誌の表紙を破り取ったり、段ボールの箱をつぶしたりする“しごと”を見つける。障害者は週2--3日、1日2時間程度、障害のない従業員に交じってこの仕事をし最低賃金をクリアーする時給を得る。どの仕事もだれかがやらなければならない仕事で、障害者に何かをさせておくためにデッチあげた“しごと”ではない。しかし求人欄で募集されるような仕事でもない。リサの作った“しごと”は究極のワークシェアリングである。雇用者や従業員が仕事のほんの一部を提供することにより、最重度の知的障害者も人間としての誇りを持ち、社会に参加することができる。
  現在、地球的に見て必要な仕事と職業として成り立つ「仕事」とはオーバーラップしていない。多くの人にとって大切な援助をしていても収入には結び付かないことが多い。一方、生活のために従事している「職業」の重圧に押し潰されそうになっている人々がいる。21世紀には「働くこと」は企業的な視点より市民的な視点から検討されるようになって欲しい。企業にとって儲けになることでも必要でないことには、資源(人間の労働も含めて)の無駄遣いという観点からブレーキがかかるであろう。だれもがプライベートな楽しみ、公民としての務めを犠牲にしないで収入を得る職業(一つとは限らない)に就くことが可能になっているだろう。そういう時代になったら日本人は初対面の人にどんな質問をするのだろうか? 楽しみである。

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