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DATUMS 1999.02
◆ベトナム◆ 「ベトナム世界遺産と国際協力の旅」から

柴尾 智子  (財)ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)

■しばお ともこ
 1959年生まれ。財団法人ユネスコ・アジア文化センターで、アジア・太平洋地域を対象とした有形文化遺産、無形文化遺産の保護や文化交流などの国際文化協力の仕事をしている。


  ドイモイ初期一時の熱気は多少さめたというものの1997年夏に訪れたハノイは活気にあふれていた。「1万ドン!」「1ドル!」「百円!」(当時のレートでだいたい一緒)と日本語でがなり立てながら近寄ってくる物売りたち。商売の合間に腰のポケットから引きずり出した本の活字を熱心に追う少女。地べたにうずくまるようにしてベトナムうどんフォーをほおばる女。車のクラクションとバイクと自転車とシクロ。鉄骨がむき出しの建築現場。むせかえるようなエネルギーを感じさせる、それらの、人々を、物モノを、横目に見ながら、あちらの役所、こちらの識字教室と訪ね歩く私たちのグループの旅は、文化観光振興の立場からこの企画にご理解いただいた旅行関連業界の支援により実現した。
  ハノイの喧噪と対局のような、中部ベトナムの古都フエ。ホーチミンが学んだことで知られる学問の町は、1993年末には世界遺産の町となった。
  ベトナム最後の王朝グエン朝がその短かった栄華の時期に、中国の伝統にもとづき、かつフランスの近代要塞建築をとりいれ、さらにベトナム独自の様式を生かして作り上げたフエの都城。もとは多くの建造物が建ち、香河(ソンフォン)の流域に点在する歴代の王の陵墓や、仏教寺院とともに壮観をなしていた。第一次インドシナ戦争とベトナム戦争で多くが破壊されたが、ドイモイ政策以後本格的な修復作業が始まった。
  1989年にフエの遺跡保存センター所長に就任して以来精力的な活動を続けてきたタイ・コン・グエン氏はもと南ベトナム解放民族戦線側の兵士としてフエの都城にたてこもって戦った一人であるという。その彼の「遺跡修復も、国をまもる意味では同じ」という信念のなせる技か、遺跡保存センターの職員数は、ここ数年で200人から500人に大幅に増加し、修復本来の仕事のみならず、多言語での遺跡案内嬢の育成や民族音楽の復興と演奏機会の提供などと多岐にわたっている。結果、さしたる産業のないこの町で、一大雇用を創出している。
  ACCU主催の類似の視察旅行は20数年前から実施されている。第1期の70年代後半は、パリにあるユネスコ本部詣での色彩が強い少人数長期間の欧州中心の視察旅行。第2期は80年代の、アジアを目的地とした2週間程度の旅。ここまでは、各地のユネスコ活動指導者海外派遣事業として政府の補助金を受けて行われていた。
  こうして振り返ると、まだまだ海外旅行が高値の花だったころの「洋行」から、アジアが観光旅行のディスティネーションとしてとして定着し始めたものの、未だめずらしかった頃までの海外旅行一般の流れと軌をいつにしているように見える。
  ベトナムから始まった「第3期」(昨年はタイとネパールを訪問)では、文化をめぐる現地の営みに何らかの形で関与しつつ、相互に学び会うような、関係性の旅をつくっていきたいものである。

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