箱根観光フォーラム'97:パネルディスカッション 
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箱根から、国内観光の活性化を考える ……Page:>>>>>>>>9>10>11>12>13>14
■観光地におけるアメニティとは何か

  さて続きまして、以前、私が長崎県の自然保護課長をしていた当時の雲仙のまちづくりについてお話をしたいと思います。
  そもそも事の発端は、私が長崎に赴任してまもなく、知事から「いま雲仙で小浜町長が推進しようとしている構想に協力してやって欲しい」との要請を受けたことに始まります。具体的には、観光的に停滞が続く雲仙の活性化のために、国際会議場ないしは総合体育施設をつくって欲しいという内容でした。雲仙の宿泊収容力は6,000人くらいでして、箱根は企業の保養所を含めると約45,000人ということですから約1/7といったところでしょうか。その雲仙も低成長期に入り、先程来お話に出ている旅行の多様化とも相まって、非常に苦しい時代を迎えていました。確かに、国際会議場、コンベンションホールは全国の観光地が夢見ているものの一つであります。しかし、2,000人以上規模の大きな大会など当時は年に2−3回、国際会議に至っては10年に1回。ましてや、既に雲仙には観光会館があって1,000人位は収容できる施設だったのですが、それすら十分に使いこなしていない。地域全体としての共同催しの会場にすればと思うのですが、大きなホテルでは飲食も買い物もイベントも全て館内でという姿勢です。そのような街に国際会議場を設置しても、大きなホテルや旅館が自らの宿泊客を確保するために大会などを誘致する目玉で終わってしまうのではないか――そんな疑問を抱き、全国の大きな大会・会議等の過去の実績を調査した上で、私は国際会議場の設置は、さほど期待できるものではないということを地元に提示しました。しかし、開発構想は既にスタートしています。それにブレーキをかけつつ、雲仙に今本当に必要なもの、観光地におけるアメニティの在り方を具体的に示すことが、私に与えられた課題となったのです。
■『雲仙プラン』―ビジターセンターを中心とした雲仙活性化への共同作業

  その具体的な方向を示す契機となったのが、環境庁からの『ビジターセンター』設置の打診でした。ビジターセンターは、公園を訪れる人たちへの案内機能を持たせつつ、自然教育活動の拠点とすることが目的となっており、いわば案内所兼小博物館のようなものです。幸いにも建築費は環境庁が全額出資できるだけの予算が残っていたので、知事に国際会議場の代わりにビジターセンターを建築し、この施設を中心に雲仙の活性化と浮揚策を展開していくという方針を説明し、了解を得ることが出来ました。もちろん、内部展示物や管理運営費は地元調達ですから、詰めるべきことはたくさんあります。しかし、ともあれ国と県、そして雲仙観光の浮揚を願う地元、それぞれの思惑を一つにした三者の共同作業を開始する舞台ができあがったわけです。
  建物のデザインは、当時学習研究社で映像・展示のプロデューサーをしていた私の友人に依頼し、彼から提示された数種類のパネルをもとに、地元の人たちと議論をしました。木造風のデザインだったため、当初は「鉄筋コンクリート造りのホテルが多く立ち並ぶなかで、時代に逆行する」との反応が多かったのですが、議論を重ねるうちに、周囲の柔らかな景観との調和や入りやすさを重視したデザインを受け入れる人たちが増えていきました。また、近代的ホテル様式に改造し終えた人たちの中からも、かつてのゆとりのあった建物を見直す必要がありそうだという声が出始めました。周囲の景観から自分のホテルや旅館がどのように印象づけられるのかを考えられるようになったということです。
■「地域のやる気」が観光地を変える

  ビジターセンターの基礎工事の開始とともに、雲仙の町並みを見直す作業が始まりました。縮尺1/2000の大きな市街地図を県が用意し、参加する意志のある人全てにこれを持って雲仙内を歩いてもらったのです。ホテルの主人・従業員、そして地域住民と、誰にでも参加してもらい、改善の必要のあること、気の付いたことを何でも書き込んでもらう。行政の立場で指摘するのとは違い、自分たちの責任でまとめてみる。言い換えれば雲仙という空間を自らデザインすることにもなりますし、観光客の身になって雲仙での過ごし方を考えることにもなるのです。こうして出来上がった調査結果や雲仙の将来への課題を『まちづくりのための雲仙プラン50』という報告書にまとめ、地元の人たちに配布しました。この報告書は行政と住民の双方が理解し合える共通言語になったと今でも思っています。
  ビジターセンターの設計で一つご紹介しておきたいのは、車いす用に斜路をつけたことです。これは提案した方のお子さんが重度の障害をお持ちで、車いすのための通路を是非付けたいという彼の思いがありました。実際につくってみると、お年寄りはもちろん若い方もこの方が楽だという。また、舗装を石張りにしたことで、全ての方にも歩いていて楽しいアプローチとなりました。これをきっかけに、やがて雲仙のまちを縦貫する国道の歩道も全面石張りに替えてしまうことにもなったのです。
  その後も、『雲仙プラン』は様々なかたちで具現化していきました。雲仙の警察官派出所は、山小屋風の派出所として全国のテレビや新聞にもその姿を紹介されました。また、今では公共施設のみならず、ホテルや小さなドライブインにも『雲仙プラン』の実体が現れてきています。つい最近も「雲仙湯上がり地ビール」と名付けた地ビールをつくって、旅館に泊まっているお客さんにもそこで飲んでもらおうと、空いていた駐車場を利用した新しい建物がオープンしています。あまりパッとしないデザインの建物なのですが、私は何よりも、こうした「地域のやる気」が雲仙を活力ある観光地に変えていくのだと思っています。
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