沖縄観光フォーラム’95:基調講演 
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観光産業と環境保全  ……Page:>>>>>>
■何を重視するか――価値観の転換を

  そういう目で観光というものを捉え、最初に申し上げた「環境との関係」を考えてみたいと思います。観光資源には、大きく分けて「自然」と、伝統や歴史というものを含めた「文化」があると思います。日本人は最近海外へも足をのばすことが多くなってきましたが、いまや単にどこかに行けば満足するというのではなくて、かなりの程度「本物」を求めているというところがあるのではないかという気がしています。
  沖縄に行っても北海道に行っても、気候が違うだけで、ホテルも同じで、食べ物も大して変わらない。ましてや土産物屋へ行ったら、ラベルを張り替えただけみたいなものがある。そういうレベルはもう過ぎてしまっているのではないか。それでは、今後の観光客の満足は得られないのではないかという感じがしています。ですから、観光を目的とした開発を行う場合、或いはモノを売る場合、食べ物をつくる場合、いかに本物であるか。その土地に本来あったもの、その土地でできるもの、そこでないと手に入らないものをどうやって提供できるかということが、非常に重要になってきているのではないかという感じがしています。
  最近、イタリアの都市について書かれた新聞の連載記事がありました。フィレンツェのような有名都市をはじめ、ローマ北部の小さな町のいくつかを紹介し、それぞれの町を比べたものです。それを見ますと、どの町も小さい。フィレンツェは観光では世界的に有名な町ですが、それでも人口が那覇市とほぼ同様の30万か40万です。あとの小さい町は1万5000人とか2万人とか、もっと小さな町です。しかし、それぞれに個性、独自性をもっている。また、どの町も歴史というものをきちっと守っている。古い建物を壊して新しい建物を建てたほうが効率がよくなるはずですが、新しいオフィスをつくったり新しい家をつくるときも、外側はそのままに残して、中を改装している。従来は刑務所であったものが、あるときに病院に変わり、その後アパートに変わり、レストランに変わりというように、何百年も建物が使われているうちに、用途がどんどん変わっている。しかし、町並みはほとんど変わらずに維持されている。或いはレストランで出てくる食事の材料、肉とかトマトとかキュウリをどこから仕入れているかいえば、ほとんどが半径何十キロか以内の、自分の親類とか昔から取り引きのある業者から仕入れているということです。いま日本では世界中から輸入がされているように、イタリアの小都市においても、地元から買わずにアメリカやオーストラリア、ポルトガルといった国々から買えば、もっとコストを安く抑えることが可能だと思います。なぜそうしないのかという質問をしたところ、それは要するに何に価値をおくかということについての考え方の違いだということを言ったということが書かれていました。
  つまり、日本人とそのイタリアの小さい町の人たちとは、どうも考え方がかなり違ってきているのではないか。私たちは「成長」ということにあまりにも毒されていて、売れるものなら売れる限り売ろうとか、大きくなるのであればなるべく大きくしようといった、効率とかコスト、便利さというものばかりを見過ぎてきたのではないか。この記事からそんな感想を持ちました。実際にその業界の中で商売をされている方にしてみれば、そんなきれいごとを言っても、競争の中で生き残っていくためには大きくしないとダメなんだという意見も当然あるでしょう。それが正しい場合もありましょうが、一方で、現実問題としてそうではないところに自分の価値観を見いだして、違う哲学でやっている人もいるわけですから、観光においても、そういうことも考えてもいいのではないかという気がしました。
  私自身もイタリアの北部を訪れたことがありますが、本当にいい町があります。町の中を歩いているだけで歴史が感じられるし、町並みは美しい。おそらく日本には、京都なども含めて、そういう魅力的な町というのは残念ながらあまりないのではないかという気がします。観光においてすら効率を重んじて、規模の拡大を重んじて、開発をしていく。それによって、もともと持っていた貴重な観光資源というものを結果的に壊してしまっている。京都などはそのいい例だと思います。本来はいい町だったのでしょうが、特にバブル以降、無残な姿になっています。日本の場合、戦後、先進国に経済的に追い付け追い越せということで来たわけですから、その過程で、効率優先、商売優先で来たのは仕方がなかったのかもしれません。しかし、いまや経済的にはイタリアはおろか、ほとんどの国を抜き去って、世界でも最も裕福な部類に入っていることを考えると、それでもなおかつ効率を優先するということでいいのかなという気がします。
  先程の記事でもうひとつ興味を引く内容がありました。イタリア人の言った言葉ですが―――「都市というのは舞台である。人というのはその舞台の上で動く登場人物である。だから、舞台がきれいであれば登場人物たちも着る物もきれいになってくるし、物腰もエレガントになってくる」ということが書かれていました。併せて、「イタリアの町の中でみっともない格好をしているのはだいたい観光客だ。イタリア人は地元で散歩するときにもお洒落な格好をして歩いている。それは町がきれいだから、みんなそれに合わせて、それが風景とも非常によくマッチするからだ。」―――舞台がきれいであればいいデザインも出てくるし、いい色彩も出てくる、そういうものが文化なんだということが書かれていましたが、なるほどという気がしました。日本人の多くがあこがれるイタリアのデザイン、ファッションはそのような背景の下に生まれる、ということなのでしょう。
  同じことが日本でどこまでやれるかわかりませんし、そういう古い町並みであればそれを保存すること自体にも金はかかります。古い家に住んでいる人も、古い家を維持するのはかなわない。それを維持しようとすると、そこに住んでいる人だけの努力に委ねることは無理です。そのためには、公的な援助を始めとした様々な仕組みが必要でしょうが、そういうことを考えてもいいのではないでしょうか。すべてが同じではないにしても、観光ということを考える場合にそういう観点が必要なのではないかと私は思います。
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